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平城宮の朱雀門

平城宮の朱雀門、「鹿男あをによし」のドラマでも重要な舞台になって、平城宮のシンボルみたいになっていますけれど



確たる根拠もないのに建てちゃって、いったん視覚化してしまうと定説として独り歩きしてしまうのにと、前々から疑問でした。



奈良文化財研究所の清水重敦(しげあつ)・景観研究室長(建築史)が11、12両日、同市内で開かれた「古代官衙(かんが)・集落研究会」で、奈良時代当時、平屋の単層だったとする新説を、発表されたそうです。

ちゃんと研究が続いていて、公に発表もされているのを知って、安心しました。



もうすぐ完成の大極殿はどうなんでしょうねぇ。





平城宮の朱雀門、平屋単層だった?…復元と違い YOMIURI ONLINE



平城宮:朱雀門、実は一重屋根だった? 奈文研・清水室長が新説 /奈良 毎日jp





 平城宮の朱雀門、平屋単層だった?…復元と違い

12月13日21時33分配信 読売新聞



国の特別史跡・平城宮跡(奈良市)に重層門として復元された朱雀門は、奈良時代当時、平屋の単層だったとする新説を、奈良文化財研究所の清水重敦(しげあつ)・景観研究室長(建築史)が11、12両日、同市内で開かれた「古代官衙(かんが)・集落研究会」で発表した。



 長年の研究に基づいて二階建てに見える重層門として復元されただけに、話題を呼びそうだ。



 朱雀門は、皇居・平城宮の南端中央に置かれた最も重要な正門で、外国使節の歓迎や、天皇を迎えて催された正月行事の舞台となった。同研究所などが発掘の成果や法隆寺中門、薬師寺東塔、絵巻物に描かれた平安宮朱雀門などを参考に重層と結論づけ、文化庁が10年がかりで36億円をかけて1998年に復元。平城宮跡のシンボルになっている。



 清水室長は、これまでの研究結果を踏まえ、▽門を解体した時の足場穴の跡から考えると、階段の張り出しが小さい▽深く掘られていたのは地盤が軟弱なためで、重層の根拠にならない▽重層構造は梁間(はりま)(奥行き)が3間で安定するが、2間の朱雀門では不安定で、奈良時代前半までの都城の門は単層だった――などと解説。「基壇の高さは復元された1・7メートルよりも低い0・75メートル程度で、屋根も入り母屋造りでなく、寄せ棟造りの単層だった」としている。



 研究会の出席者からは、続日本紀に登場する「重閤(じゅうこう)門」「重閤中門」の表記や重層で描かれた平安宮朱雀門を重視して、重層だったとする意見も出されたが、清水室長は「豪華で第一級の構えが当然との考えもあって重層になったのだろう。単層でも、唐招提寺金堂のように格調高い建物もある。復元後でも、議論を行い、検討を続けることが大切」と話している。






平城宮:朱雀門、実は一重屋根だった? 奈文研・清水室長が新説 /奈良

12月13日16時0分配信 毎日新聞



 平城宮の正門で、現在は重層構造に復元されている朱雀門(奈良市)の屋根が、一重の単層構造だったという新説を、奈良文化財研究所の清水重敦・景観研究室長(建築史)が打ち出した。復元建物の完成から10年以上がたち、奈良のシンボルの一つになっている朱雀門のイメージを揺るがす説で、議論を呼びそうだ。【花澤茂人】

 ◇礎石の穴、柱間から

 奈良市内で11、12日にあった「古代官衙(かんが)・集落研究会研究集会」で発表した。

 朱雀門は奈良時代初期の建造で、発掘調査から幅約25メートル、奥行き約10メートルの規模だったことが確認されている。復元は奈良国立文化財研究所(当時)が中心になって実施。発掘調査の成果や法隆寺(斑鳩町)の中門など現存する奈良時代以前の建築物、絵巻物に残る平安京の朱雀門を参考に、97年に高さ約20メートルの重層建物を完成させた。

 清水さんは今回の発表で、発掘調査の結果から再検討。基壇について、外装が見つからなかったのに、礎石を置いた穴がよく残っていたことなどから、重層よりも単層にふさわしい高さ75センチ程度の低い基壇だったと想定。さらに、奥行きの柱間が2間しかなかったことに注目。奈良時代前半以前の重層の門は奥行きが柱間3間が普通で、2間では構造的に不安定だとし、屋根が単層構造だったと結論づけた。

 清水さんは「格式の高い建物は重層と考えがちだが、単層でも立派な建物は多い。建物を復元して議論をやめてしまうのではなく、続けていくことが大事だ」と話している。

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